普段仕事をしていると、それは何のためにやっているのかわかっている?と訊きたくなる場合があります。
よくある手段が目的となるやつです。
例えば、効率よく作業をしたいという目的に対して、そのためにいつまでに資料を作るという目標を立ててもらいましたが、資料を作ることが目的となってしまい、作って終わり…。
資料を作るという目標は達成しているのですが、当初設定した目標はどこへやら。
自分の中で、手段が目的にならないように意識していることがあります。それは、「疑う」ということです。「それは何のためになるのか?」「本当に正しいのか?」という意識を常に持っています。
それにより、目的の再認識(やる理由を明確にする)ができます。
それ以外にも、調べることにより従来やってきたことが今では変わっていることや、更に有効な方法があることなどの発見にもつながります。特に最近は、技術の進歩も早いですから、少し前のことでもだいぶ変わっていることが多々あります。
前にドラマ「ライアーゲーム」を観ていた(漫画でも読んだ)時に、「人は疑うべきだよ。人を疑うこと言事はその人を知ろうとする行為だ」というセリフがありました。
また、「多くの人が「信じる」という名のもとにやっている行為は、他人を知ることの放棄。いわゆる無関心」だとも。
まさしく、そのとおりで、仕事も同じだと思っています。
言われたことをそのままやる単純作業でも、その作業に疑い(関心)をもって行うか、疑わず(無関心)に行うかでは、成長が違います。
今週のNHK BSドラマ「舟を編む」の中でも「疑う」というキーワードが出てきました。
それもあって、「疑う」ということを改めて意識した次第です。
話は戻って、手段が目的になる人は、目的、目標、手段の意味をわかっていないかもしれないということに最近気づきました。
改めて教育が必要だと思う、今日この頃です。
疑うこと